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歴史に学ぶ事業承継

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2024.06.21


ベルサイユの薔薇のオスカルはずっと男性だと思っていましたが、
女子だったとは・・・!
令和6年最大の衝撃(笑)


司法書士の川嵜一夫です。


■■ コテンラジオにハマっています(笑)
歴史をおもしろおかしく解説する「コテンラジオ」
最近、メッチャハマっていて、車に乗っているときや、ヒマさえあれば、聞いています。
#PodcastやYoutubeで聞けるよ


時代背景や、当時の人々の考え方、環境から解説してくれるので、
すごく勉強になります。


考え方や常識は、地域や時代が変われば、すごく変わる。
例えば、ベルサイユの薔薇のフランス革命の以前は、国民は所有権や人権という概念すらなかった、とか。


ある日突然、自分の財産を奪われても、何も言えない。

というか、財産を所有するという概念がない。


しかも税金は9割。しまいにゃ空気を吸うことにも課税される始末。
#そりゃ革命が起きるよね


それから古代ギリシャ時代(アテネやスパルタなど)は、男の人はみんなバイセクシャルだったとか。
アレキサンダー大王(2300年くらい前)も普通に「彼氏」がいたそうです。


そのアレキサンダー大王ですが、事業承継がすごく上手くいったケースと上手くいかなかったケースを見ることができます。


■■ なぜ、アレキサンダー大王はすごくなれたのか?(父のおかげ)

アレキサンダー大王は、マケドニア王のピリッポスを父に持ちます。
マケドニアは、ギリシャの田舎のポリス。


しかしピリッポス(子どものとき人質になり、そこで国の発展のさせ方を学んだ)が
田舎ポリスで経済も軍事も弱かったマケドニアを大いに発展させます。


政治手腕もすごかったけど、事業承継もすごかった。
まだ幼いアレキサンダーの才能を見抜き、超英才教育を施します。


なんと家庭教師がアリストテレス!


知の巨人のアリストテレスが家庭教師なんですよ。
#メッチャスゴ!


そして、軍事については、スパルタ出身のバリバリの人が家庭教師についたそうです。


そしてさらに、アレキサンダーが将来王になったときのために、サポートしてくれる側近を
早くから付けていたそうです。


このように、アレキサンダーの父、ピリッポスは、政治でマケドニアの発展に努めるかたわら、
将来の王、アレキサンダーに英才教育を施し、人事的にも固める準備を早くからしていました。


ところがピリッポスが暗殺されます。

アレキサンダーはわずか20歳でマケドニア王になります。


でも大丈夫。その英才教育や準備のおかげで、アレキサンダーは大活躍。


その後のマケドニアの発展は、歴史が証明していますよね。


アレキサンダーは、とにかく戦争が強かった。


自分が戦闘の最前線に経ちつつ、戦略も天才的だったそうです。
ラオウ(北斗の拳)のようにメッチャ強いのに、
諸葛亮孔明のような戦略家。しかも判断が速かったそう。


さらに、ざっくばらんな性格で、一緒に戦った一般の兵士とも寝食を共にして、
メチャクチャ人気があったそうです。


戦争をすれば、連戦連勝。


軍隊の数が、相手がアレキサンダー軍の数倍だったとしても勝っちゃうんですよね。


その結果、10年も経たないうちに、ギリシャの田舎ポリスだったマケドニアが、
トルコ、エジプト、ペルシャ、と広大な領地を持つようになったんですね。


このように、アレキサンダーの発展と成功は、
父ピリッポスがいなかったら、全くなかったといえると思います。


父ピリッポスは突然死だったにもかかわらず、
しっかりした後継者を選び、その準備をしていたために、
事業承継がすごく上手くいったパターンですね。


一方で、アレキサンダーは次の代へのバトンタッチを完全に失敗します。


■■ アレキサンダーは後継者がいなかった
アレキサンダーは戦争に明け暮れて、自分を継ぐべき子どもがいませんでした。


そして、32歳のとき、遠征先で急死します。

#マラリアの可能性あり


そのときは、自分の妻のおなかに子どもがいたそうですが、跡継ぎ候補はそれくらいだったそうです。


結果、内部分裂。


広大な領地は、文化や考え方も違います。そんな領地を治められる人がいるわけもなく、内部で後継者争いが起こります。


その争いで、妻もおなかの子供ともども殺されてしまいます。


そしてマケドニアは衰退していきます。


■■ 秦の始皇帝も事業承継失敗
500年の戦国時代(春秋時代)を経て、中国を始めて統一した秦の始皇帝
彼もメッチャ優秀の人だったようです。


しかし、事業承継は上手くいきませんでした。


広大な中国を法を通じて統一し、統治しましたが、その働きは超人的。


国の政治は、かなり細部にわたり、自分で決裁していたようです。


そのため、自分の跡を継げるものはいないとの考えを持つようになったためか、
始皇帝は、不老不死に傾倒するようになりました。


しかし、そんなことができるはずもなく、始皇帝も亡くなります。


始皇帝が亡くなったあとは、秦がもつはずもなく、滅亡。


秦の天下はわずか15年。始皇帝がいる期間だけでした。


■■ 代替わりの準備不足は、繁栄ができない
こんな事例は、歴史を見ればたくさんあります。


日本でも、私の地元、越後とか。
上杉謙信は後継者を定めず死亡。その後、2人の養子が争って戦いましたよね。


豊臣秀吉もそう。

甥の秀次を後継者に定めていたのに、実子が生まれたら、邪魔になり切腹させます。

秀吉が死亡したときは、子の秀頼はまだ幼子です。


その後は豊臣家は滅亡の道を歩みましたよね。


逆に入念な準備をしたのは徳川家康。


天下統一したあとは、早々と一線を引き、後継者の秀忠を将軍に。


若い秀忠をバックからサポートしながら、260年続く徳川の幕府の礎を築きました。


ピリッポスや家康のように、事業承継は早くからの準備が大事。


準備不足だったりして繁栄した例は、あまり聞かないです。
失敗例は多数。


逆にしっかり準備することにより繁栄している例はありますよね。


専門家の皆さんは事業承継の現場に携わることもありますので、
会社の経営者には、早くからの準備を促していきたいですね。



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